
ノブオ「俳句のほうは、まだ続いているのかい?」
タダシ「うん。僕って人間は、一度始めれば結構長く続くみたいだね。」
ノブオ「新しいのはできたのかい?」
タダシ「もちろん。天才というのは多産だからね。えーっとね、雀の子、」
ノブオ「雀の子ぉ?また、どこかで聞いたことのあるような出だしだなあ。」
タダシ「いいじゃない。リスペクトだよリスペクト。」
ノブオ「うーん、リスペクトねえ、、、」
タダシ「まずは最後まで聞いてくれよ。雀の子 そこのけそこのけ あっちいけ。」
雀の子 そこのけそこのけ あっちいけ
ノブオ「うーん。それって、小林一茶のパクリだろう?やっぱりキミの歌は単なる冗談にしか聞こえないな。」
タダオ「リスペクトだって言っているじゃないか。まいったなあ。これだから素人には困っちゃうな。」
ノブオ「ハイハイ。じゃあ、その素人のオレに解説のほうを一つ頼むよ。」
タダオ「そうだね。じゃあ、素人のキミにもわかるように、玄人の僕が懇切丁寧に解説してあげよう。ではまず、小林くんの原曲からいこうか。」
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
タダオ「今回僕がカヴァーさせていただいた小林くんのこの歌のテーマは、一言でいえば、生命の触れ合いなのです。『雀の子』という出だしによって、雀の子が遊んでいる姿が表現されていますね。そして、その雀の子に対して、どこかのヨボヨボのジジイかババアが、馬が通るからそこをどきなさいと、まあ、余計なおせっかいをやいているわけだな。」
ノブオ「おいおい、どうしてヨボヨボのジジイかババアってところまでわかるのさ?若くてキレイな女の人かもしれないぜ。」
タダオ「いやいや。それがさ、はっきりとわかってしまうのだよ。」
ノブオ「どうして?」
タダオ「だってさ、キミは雀が道路で自動車にひかれているのなんか見たことあるかい?」
ノブオ「うーん、ないなあ。」
タダオ「だろ?僕の実家は岐阜県加茂郡坂祝町という、中途半端にクソ田舎なところにあるのよ。僕は過去そのクソ田舎で、おそらく、のべ何万羽、何十万羽という雀と接してきたわけなのだけれども、その僕ですら、自動車にひかれた雀の死体というのは一羽たりとも見たことがないんだよね。いいかいキミ?自動車だよ自動車。英語でいえばオート・モービル。普通、オート・モービルというものは、時速50キロとか60キロで走っているわけで、にもかかわらず、道路で遊んでいる雀はオート・モービルにひかれるというようなヘマはしないんだぜ。そんな雀が、たかだか馬なんかにひかれたりするわけないじゃない。」
ノブオ「そりゃまあ、そうかもしれないね。」
タダオ「だろ?だったら、雀に注意しているのはジジイかババアだよ。雀が馬にひかれるはずなんてない、そんな子供でもわかるようなことすらわからなくなったボケたジジイかババアがさ、雀に向かって、早くどけ、早くどけ、早くそこをどけ―――!!!ってヒステリックに叫んでいるに決まってるんだよ。」
ノブオ「うーん。でも、この歌で重要なのはさ、注意している人間がジジイだとかババアだとか、ボケているボケていないだとかではなくてさ、たとえ大丈夫だとはわかってはいても、それでもついつい注意してしまう、そういう人間のやさしい心、親切心だっていうことかもしれないぜ。」
タダオ「いいや、絶対に違うね。注意している人間がやさしいだとかやさしくないだとか、そんなことはどうでもよろしい。注意している人間がボケているかボケていないか、若いのか老人なのか。それこそがこの歌の解釈において一番重要なポイントなんだよ。俳句の天才である小林くんは、雀に注意している人間が老人であるということが受け手にきちんと伝わるように、一つの隠しキーワードをこの歌にひそませている。」
ノブオ「なんだい、その隠しキーワードっていうのは?」
タダオ「それは『雀の子』だよ。」
ノブオ「えっ?なぜだい?」
タダオ「いいかい?雀の子っていうのは、あなたそれはヒナのことですよ。巣の中でピーピー鳴いているヒナこそが雀の子なのです。道路で遊んでいる雀なんていうのは、もはやそれは子どもなどではなくて、立派な成人ですよ。だって、誰の力も借りずに自分でエサをとって生活しているわけですから。人間でいえば、学校を卒業して就職して給料をもらっているというのと同じことですよ。」
ノブオ「だけどさ、その雀がまだ巣から出たばかりで、エサのとりかたとかがよくわからなかったらどうするの?その場合、雀はまだ子供だとは言えないかい?」
タダオ「その場合は、すぐそばに親がいるでしょう。」
ノブオ「親?」
タダオ「保護者ですよ保護者。遊んでいる子供の隣に保護者がいるはずです。そんな保護者も子供もひっくるめて、『雀の子』なんて呼びかけられたりしたら、保護者の面子は丸つぶれというか。また、保護者がいる場合、馬がやってきたら保護者が注意すればいいわけで、にもかかわらず第三者が注意したりしたら、やっぱり保護者の面子は丸つぶれなわけで。つまりどちらにしろ保護者からすれば、いい迷惑だよね。そういう余計なことをするヤツというのは、古今東西においてやっぱり老人と相場が決まっているわけです。老婆心という言葉があるくらいだもん」
ノブオ「うーん、、、」
タダオ「とにかくそんなわけで、この俳句に描かれている情景というのはですね、雀が馬にひかれるはずなどないということ、また、雀の子はヒナだということすら忘れてしまったようなヨボヨボのジジイかババアが、雀に対して懸命におせっかいをやいている姿なわけです。かたや若くて、生き生きとしていて、ぴちぴちで、ピーチクパーチク鳴いて、まさにこの瞬間生命を謳歌している雀とね、かたやもうろくして右も左もわからなくなっているような老人、この生命力の強弱の対比というかコントラストがですな、なんとも悲しいじゃありませんか。いわゆる、『もののあはれ』というやつですな。生命である以上、避けることのできない『老化』という現象。非常に繊細でガラスのようなハートを持つ小林くんは、雀と老人の様子を客観的に見つめながらも、決して冷静ではなかったはずです。雀に向かって、どけーっ、どけーっ、早くどけーっ!と狂ったように叫ぶ老人を見てですな、おそらく小林くんは、いつかはオレもああなってしまうのではないか、そんな風に考えたのではないかと思われます。『老い』というものに対する恐怖。その恐怖が小林くんの心の中で具体化したのが、まさしくこの瞬間だったのではないでしょうか。おそらく小林くんは、その夜震えて眠れなかったと思われます。」
ノブオ「ええっ!?」
タダオ「布団に入った小林くんの頭の中にね、昼間見た情景がガンガンにフラッシュバックするわけです。ピーチクパーチク、ピーチクパーチク、どけ―っ、どけーっ、死ぬぞー!お馬にひかれて死んじまうぞ―っ!!ピーチクパーチク、ピーチクパーチク。非常に繊細なガラスのようなハートを持つ天才・小林くんは、もう、『老い』に対する恐怖でぶるぶるですよ。そして、これからの人生に対して絶対的な絶望感を味わうわけです。その絶対的な絶望感の中で産み落とされたのが、この『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る』という句なのです。そういった意味でこの句には、絵画でいうところのモンクの『叫び』に近いニュアンスがあるといえるかもしれません。」
ノブオ「ええっ!?雀の子とモンクの『叫び』が近いニュアンスなの?」
タダオ「ザッツ・ライト」
ノブオ「おまえ、つい先日、俳句は一人で部屋にひきこもって作るようなものじゃないとかかんとか言ってなかった?なんで小林一茶は、布団の中でぶるぶる震えながら俳句作ってんのさ。」
ノブオ「アイ・ドント・ノウ」
ノブオ「うーん。まあ、いいや。とにかくそうしておこう。じゃあ次は、キミのヴァージョンの方の解説を頼むよ」
タダオ「オーケー、ジョン。グッド・クエスションだ。今回、僕はコバヤシの句に若干のアレンジを加えてみたんだ。そう、よりグレイトなサウンドになるようにね。『雀の子 そこのけそこのけ あっちいけ』。こんな具合に、コバヤシの句の後半を変更することによって、彼が見落としていた『もう一つの別の視点』をこの句に与え、そしてその世界観を大幅に拡大させてみたというわけさ。」
ノブオ「へぇ。なんだかよくわからないけど、『お馬が通る』の部分を『あっちいけ』に変えるだけで、そんなにすごいことになるものなの?」
タダオ「イエース」
ノブオ「どうして?」
タダオ「ジョン。グッド・クエスションだ。このアレンジにおける最大のポイントはだね、『雀の子 そこのけそこのけ あっちいけ』の最後の『あっちいけ』っていうセリフが、雀のセリフだっていうところなのさ。」
ノブオ「は?」
タダオ「このことによって、『そこのけそこのけ』とおせっかいをやく老人、『いちいちうるせーよ、あっちいけ』という雀、そして、そのやりとりを見つめるミスター・コバヤシ。つまり、主体の視点と客体の視点とその様子を見つめる第三者の客観的な視点、その全てがこの短い18文字の言葉の中に凝縮されることになってしまうってわけさ。グレイトだろ?全ての物事には、マイン(mine)、ユア―ズ(yours)、トゥルース(truth)という三つの側面があるとよく言われるけれども、僕はまさにそのようなことを、俳句という非常に制約の厳しい表現媒体において描ききってしまったといえるのかもしれないね」
ノブオ「難しすぎて、オレにはようわからんわ」
〈おしまい〉

* * *
・読んでいただいてありがとうございました!
※↓のバナーで「ジャイアント・ラブ」のトップへ移動します。

☆ご意見・ご感想等ありましたら、こちらまでお願いいたします。
